二〇〇四年 十二月 九日(

旧暦 十月二十八日 先勝
甲申年 十月廿八日

「遺骨」とその報道について思う

■遺骨の嘘――総書記はこの怒りを聞け(朝日新聞:12月9日社説。リンクは3ヶ月ぐらいで切れてしまうらしい)

ついに朝日までこの論調か。
北朝鮮政府の誠意ない態度を責め、その行為が国際社会の中で北朝鮮自らを不利に導くことを述べている。そして経済制裁の発動も視野に入れるべきというものだ。

この論そのものが間違っているとは言わないが、

ニセの遺骨 何という卑劣な仕打ちだ(毎日新聞)

[“遺骨”は別人]「『北』の愚行が自ら制裁を招く」(読売)

と3大紙が論調を揃えてきたことは、やはり少し薄ら寒いものを感じずにはおれない。
みんなこの調子というのは、ちょっと近視眼的すぎないだろうか。

そもそも北朝鮮にとって日本は「敵国」なのである。
太平洋戦争が終わり、朝鮮戦争が停戦状態になってから約半世紀。日本は朝鮮戦争の当事国でこそないが、「抗日」のヒーローが作った国である北朝鮮において敵国といえば日本でありアメリカであるはずだ。

こっちにもうその気はなくても、ある意味日本やアメリカと敵対関係を持つことで成立している国家なわけで、こちらを敵と信じているその国に対して「誠意」を求め、そしてそれが得られないことに怒るというのは、あまりに単純すぎないだろうか。

日本は、戦後の高度成長を経て国連の常任理事国を口にするまでになったこの期間、我々を敵と見なしていた相手に対して、何をしてきただろうか。「敵国」のレッテルをはがすための努力をしてきただろうか。アメリカの顔色を見ながら事なかれ主義を決め込んできたに過ぎないのではないか。

国交正常化、つまり太平洋戦争とかの落とし前をつけること、の前にこういう拉致の問題はクリアにしなければならないという考え方もあるだろう。日本ではその考え方が優勢だけど、向こうにしてみれば、半世紀以上前から続く敵国に対しての戦闘行為の一部ということになるのかもしれない。


戦後、日本は「事なかれ主義」の外交をやってきた。よそに喧嘩をふっかけることはなかったし、売られた喧嘩も「まあまあ」となだめながら収めてきた。もちろん武力に訴えることもなかったし、銃口を突きつけられるまでに緊迫する問題に直面することもなかった。それはもちろんアメリカという親分の傘の下という立場であったからできたことであって、日本の外交力をもってして平和外交を続けられたのだというのはおこがましい。

今回、経済制裁を求める声が与党内からも高まってきているが、北朝鮮相手に経済制裁のカードをちらつかせながら平和というゴールへたどり着かせるまでの外交をやる外交力が日本政府にあるとは、情けないことだけど思えない。ましてや平和ボケの今の日本人のなかにミサイルが自分の街に撃ち込まれることを覚悟で、この拉致問題に最後まで付き合おうという人が果たしてどれだけいるだろうか。

きれい事かもしれないが、最終的なゴールは平和と安定のはずだ。
いろいろ感情的につらいこともあるだろうけど、いままで事なかれ主義で仲良くなる努力を惜しんできた分、こちらもその苦しみを味わわなければならないのかもしれない。


・・・と、それぐらいの引いた視点を与えてくれる新聞がひとつぐらいあっても良いように思う。

Posted by mura at 2004年12月 9日 09:00 | トラックバック
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