二〇〇三年 八月 十二日(火)
旧暦 七月十五日 先負
癸未年 七月十五日 大江戸打ち水以前、夏至の日にみんなで電気を消そうというのがあったが、 100万人で2リットルずつ。都合2,000トンの水をまいて気温を下げてみよう、という主旨は分かる。たしかにリクツは間違っちゃいないと思う。 植生や土の表面、河川湖沼など(つまりはコンクリートやアスファルトで覆われていないところ)からの気化熱というものが現代の都市では極めて少なくなっていることが、ヒートアイランドの大きな要因になっていることは明らかで、そこに水をかけるという行為を通じて水の気化熱によって気温の低下を招くのだということを体験させ、その次の何らかの展開につなげようという意図があるのだろう。 でも、ワタシを含め、もう何十年もこういう都市の人工的な構造物だらけの中で生活しているモノにとっては、たしかに打ち水と気温の低下は気化熱が作用して・・・云々というリクツは理解できても、「やっぱり、夕立でも降らなきゃダメ」と思えてしまうのだ。 江戸の昔は、それこそ打ち水が有効な手段たり得たわけで、それは人間のつくった都市環境が自然界の循環構造のなかに溶け込めていたことの証左でもある。 このイベントには、学校単位での参加もあるという。そういう中に、そういう現在の都市構造の不自然さにチラリとでも気づいてくれる子どもがいてくれればな、と思う。 Posted by mura at 2003年8月12日 13:48コメント
もう冷夏は十分です(笑)。 最近、このテの呼びかけが多いですね。平和といえば平和なのかな… Posted by: kuro at 2003年8月18日 12:54平和といえば平和ですね。 でも、最近、目的が賛同できるものであるかそうでないものであるかは別として、こうして集団的に物事を達成しようとする企画に対して、素直に受け止められない気分が強くなってきました。 何事であれ、裏でなにか隠れた意図があるんじゃないか、って疑念が晴れないとイヤだ、っていうような感じで。 Posted by: mura at 2003年8月18日 14:05自分は、どうも昔から集団で物事を達成しようというのが生理的に合わないようです。もちろん、皆で野球やったり、とかは別の話ですけど。 たとえば、宗教とかにしても、学生の頃、付き合っていた彼女をはじめ、クリスチャンが結構周りにいて、何度か協会に足を運んだり、聖書を読んだりもしたのですよ。 でも、ひとたびカタチが出来あがると、本来の内心的な信仰とはかけ離れてしまうというか、なんかうさん臭くなってしまう気がして。。 世の中、綺麗ごとで済まされるほどそんなに単純じゃないし、「清濁混合」こそが最も自然な見方なんじゃないかなと。 別に宗教の形をとらなくても、というか、信者と称している人よりも、自分の方がよっぽど信仰深いんじゃない?て思えたほどです(思い上がりは否めないけれど)。 少なくとも、この国に生きている限り、八百万の神でいいじゃない、ていうのが自分の信仰感です。ちょっと話題が偏ってしまってゴメンナサイ。これっきりにします。 Posted by: kuro at 2003年8月18日 15:12協会→教会の誤りでした。 Posted by: kuro at 2003年8月18日 15:13コメントする
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